どんどん行きたくなくなる
『昇華させる期間』
とどこかのページで書きました。インプットとアウトプットは、どちらも同じだけエネルギーが必要だと思っていて、ただ私個人としては、アウトプットの方がより大きな労力を必要とします。
様々な人との出会いをインプットとするのならば、その人たちと関係を作っていって、その間に別れを経験したりすることの方が、アウトプットなのだと思うのです。
私は確かにびっくりするくらいの人見知りだけど、インプットの方が楽だし好きです。へらへらしていれば、大抵の時間なんて過ぎていくし、合わないと思ったら、そのあとにこちらからアクションを起こさなければいいだけの話だと思うんですよね。
少し昔話をしてもいいですか。
私には、それこそお互いの記憶がないくらいからの幼馴染がいて、小学校と中学校が同じで、いつまでもいつまでも飽きることなく喋ることができる存在がいるんですね。高校進学の時点で道を違って、彼女は看護師になるための道を選んだから、もう決してその進路が同じになることはないんです。
今は1年に2回くらいしか会わないけれど、それでもやっぱり、大好きな親友です。
でもね、別に親友だからって、その子の事を全部受け止めることが出来るわけではないし、私は、私の全てを肯定してくれる存在なんて、正直いらないと考えています。
私の間違っているところは指摘して欲しいし、むかつくところは「それよくないよ」って口に出してほしい。
だから私も、私にとって大切だなと思う人には、ちょっとひどすぎやしないかというくらい口を出すようにしています。
それで、その彼女に関しても、私はどうしても口を出さずにはいられないことがあったんです。それは彼女の最大の特徴でもあり、周りから高評価を得ていたポイントでもあったのに。
彼女は、所謂八方美人なんです。それはもう、どうしようもないくらいに。
その八方美人で避ける事ができた障害もたくさんあったのだろうけど、苦しむことの方が多かったんじゃないかって私は勝手に思って口に出していたんですよね。
自分のことを第一に考えて。
って。
自分のことを大事にできるのは、自分だけだと思うんです。
誰かに「幸せにしてもらう」とか「守ってもらう」とか「大事にしてもらう」って言う人、わたしの周りにものすごく多いのだけれども、そういう話を聞く度に、「自分を見つめることから逃げてる人なんだろうな」ってなんか煮え切らない想いを感じてしまいます。
うーん。そうね。
なんか、明らかに傷ついているのに「みんなのため」とか「みんなが楽しいなら大丈夫」的なことを言う、なんですか、世間では何と言われる人ですか、よく分からないですけど。そういう人ですよ。
私からしたら、全くもって的外れ。
別に自分の身くらい守りながら、周りの事を考えることだってできるではないですか。
あぁ、分かりました。自己犠牲精神にあふれている人か。
周りに負傷している事を気づかせない人ならまだしも、「ばれてるってば…あのさぁ笑」ってなる人には絶対に本音なんて話さない。
中途半端に心配されて、自分の経験に勝手に当てはめられて、勝手に同情されて、「私はあなたの味方だよ」なんてよく分からない慰めをかけられる。
虫唾が走るんですよね、自分のことも守れないくせにって。
自己犠牲。
良いことではないですか、そうですね。
だったら人に迷惑かけないでくれって。最初から見返りを求めないから犠牲って言葉を使うことができるのではないですか?見返りを求める犠牲なんて、犠牲ではないでしょう。それはただの投資です。
高校に上がって、彼女は途中で部活を辞める決断をするんですね。それに関しては、辞めようか迷っているっていうメールもくれていたし、会って話もしたし、そして辞めた後もきちんとメールをくれました。そういうマメな子。自分の辛さよりも、相手の顔色をきちんと窺う子。だからこそ、それじゃだめだって思ったのに。
いつからか、気づいたんですよね。
彼女にかけていた言葉は、私自身にもかけていた言葉だったんだって。
それは、高校の部活を辞めることなく3年間やって「しまった」時に気づいたこと。
彼女が抜群に八方美人だったから霞んでいただけで、私も十分すぎるほど、八方美人だったのです。
私は、浪人するまで、人から嫌われるのがなんだかんだで怖かったんだと思います。
それは、長男を見ていたからだったのか、それとも親族がぐちゃぐちゃしているのを見ていたからなのかは分からないけれど、平和主義だったし、ぶつかることがあるならば引くようにしていたし。
別に今だって平和主義ですけどね笑
「いや分かるけど」が口癖みたいに、色々な人の話を聞いてさ、あっちにもこっちにも良い顔して。
で、結局?
私は色んな人のことが嫌いになりました。
だから、同窓会とか少しの間避けていたし、今でも、嬉しくて仕方なくて同窓会に行くことって殆どないんです。
浪人して、もうあの1年間って、自分のためだけに頑張れば良い期間だったんですよ。
まいにち10時間以上勉強するなんて、私にとっては喜びでしかなくて、それは誰のためでもなく、私のためだけにあって、だからこそ、結果が伴わなくても、それを自分でしっかり受け止めることが出来たのだと。もちろん、時間はかかりましたが。
だからね、私にとってのターニングポイントはやっぱり浪人時代。
あの1年間は、自分のことをきちんと見つめなおした期間だったから。
自分の良い癖も悪い癖もしっかり昇華したうえで、新しい生活に進むことができたから。
だからよくも悪くも、私は大学に入ってすごく変わってしまったんだと思います。
自分では「しまった」とは思わないけれど、やっぱり周囲からすると「ドンマイ」みたいな感じなんだって。
うん。その気持ちも分かるから、いやだなとも、こんちくしょーとも思いません。
誰のための時間でもない、私のための時間だし、お金だし、文章だから。
最近ね、昔の自分を見ているような人が多いんですよね。
人の意見が食い違うことなんて多分当たり前で、満場一致なんて絶対にありえないと思います。それで、違う意見の人たち皆に良い顔をしていたら、はっきり言って、誰からもそれなりにしか信頼されなくなっちゃうんですよね。
こういうこというと、どうせ奴あたりから「22歳の分際で大きなこと言わないでください」なんてツッコミが飛んでくるのでしょうけど、このブログだって私のものでしかないのだからいいのだ。言論の自由だ。けっ。
だから今も勉強を頑張っているであろう彼女が、人間関係で悩んでいないことを本当に心の底から願っています。
近いうちに会って、少し昔話で盛り上がりたいなって、そう思う。
2015.08.25
(もしや今日は、給料日ではないですか)
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