処方箋:自分次第(就寝前、1日1問いかけ)
こんばんは。
挨拶してから書き始めるの、何だか久しぶりな気がしますね…。
まぁ、お行儀の悪いことっ!笑
気をつけます。。
また雨がシトシトしちゃってて、洗濯物〜って感じなのですが、この季節っぽいですね。気づけば9月も後半戦。シャツ1枚をサラッと着れるこの季節、とっても好きです。
このブログを定期的に読んでくださっている人がおそらく5人ほどいらっしゃると思うのですが、3人は身元が割れているので、残り2人ですね!
時々すごいたくさんの人が見てるみたいですけど、それは排除していい数だと思うので。
誰かなー誰かなーなんて考えながら更新するのが楽しい日々です。
今日はね、セルフコントロールについて。
なんか電車に乗ってたら急に思いついたので、ぽちぽちしようかと思います。
わたしは、過去の自分がとってもとーっても恥ずかしくもありながら、超自慢でもあります(笑)
考えれば考えるほどね、昔の自分すごかったなぁーって。
でも、やっぱりあのまま成長しやんくて良かったなぁーって。
悲しくなった時、ふざけんなって思った時、誰かを陥れたい時、いろんな時に、こう問いかけてます。
「ねーねー、どう思うよ(笑)」
って(笑)
どんなに変わったと言っても、わたしはわたしだから、あの頃の自分も残ってはいるんですよね。
時々、変化することで、過去を滅却する人がいますけど、その意見には否定的です。
その当時に迷惑かけた人たちがいるのに、自分変わったんでっ!☆は、ちょいとよろしくないでしょう。
過去も、背負って生きるからこその変化だと思います。
だから、今でも端々に、昔のわたしが顔を出します。
向こうも向こうで聞いてくれてる気がします。
「最近どうよ、おばさん」
って(笑)
いやいや、なんかただの妄想ガールになってきちゃった。
収集つかなくなるまえにやめとこ(笑)
それでまぁ何が書きたいのかというと。
セルフコントロールには限界があると思うのですよ。
例えばさ、どんなに過去の経験則に照らし合わせてベストな選択をしたとしても、ミスしちゃうことだってあるし。
しかも何でもかんでも二者択一じゃないじゃないですか、4個5個、大変な時は何十個っていう中から選ばないといけない時もあるわけで。
そんな時にね、理詰めで考えて、まぁこれだろうと、選ぼうとする。
でも、なんとなーく。
なんとなく、もう一個の方が良い気がする、そう思う時って普通にあるじゃないですか。
それを選ぶ時って、もう理性だとか感情だとか、そんなものバイバイな状態ですよね。
それを本能と呼ぶとしましょう。
セルフコントロールの域を出てしまっている本能で何かの行動をしたり、もしくは何かを言ってしまった時、ではその時人は自制心を全く働かせることができていないのか。
それもまた、わたしは違うと思います。
選んだ後、どんな結果が待っていようとその責任を果たすべきは自分だからです。
そこでまだ、セルフコントロールを果たすべき猶予が残されていると思うのです。
つまり、わたしの中でセルフコントロールが出来ない人というのは、事後の責任を取ることが出来ない人、ということになります。
では、セルフコントロールの限界とは、何か。
多分、諦めることになります。
もしくは、逃げること。
だから、自殺ってダメなんだと思います。
死んじゃったら、何も出来ないです。
死は人の人生を美化しがちだから。
そんなの、間違っている。
なんか、贖罪っぽい話に繋がっていきますが、わたしは無宗教なので、宗教的な要素とは関係ないです。
なかなか、世の中が「頑張ったから良いよね」っていう理論を取れないのも、この考えに繋がるからじゃないかな。
だからこそ、人は自分を甘やかすんだと思う。
その甘やかしが自己の取るべき責任の範囲内にあればオッケーだけど、越えた瞬間に、自己中になるのでしょう。
わたしは、自己抑制が出来る人間でありたいと思います。
そして、凄かった頃、ある意味の栄光時代と比べて、それでも今の方が良いと思うのは、自分自身をコントロール出来るようになっているからなのです。
それでかどうかは分からないけれど、自律することの出来ている期間が長ければ長いほど、充実していると思うし、今やっぱり充実しています。
つまるところ、多趣味かどうかは関係なくて、愛の強さも関係なくて。
要は、自分が責任から逃れようとしていないか、それだけだと思う。
2015.09.17
(いやーもっともっと)
(上手に文を綴れるようになりたいなぁー)
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