11日の練習

怒りでもなく
悲しみでもなく
呆れた。自分自身に。

決まった練習に参加することは、私にとっては普通のこと。
それは習い事も同じで、21年間生きてきて、サボったのは小学校の公文が2回と高校の部活が1回の計3回しかない。
サボるとはつまり非常に罪深いことであり、たとえ正当な理由があったとしても、あまり気持ちのいいものではないのだ。

「なに?サボったの?へぇ…。で?どうなの、気分は。クズの気持ちが分かった?」

高校の部活をサボって、あのパチンコ店の前に顔を出した時、一瞬驚いたように瞳を大きくしてから、あの人はニヤついた。
それは、それは楽しそうに。
そして、そう言い放った。

そう、つまり。
何か得たものがあったのかと。

分かってる。
サボりで得るものはなにもない。
時間がもったいないと言いつつ、そんな日に家に早く帰ったところで、生産性のあることをするわけでもないのだから。
それは、もう何年も前に身をもって痛感したこと。

例えば、テスト前で切羽詰まっているとか、踊りたいことではないとか、人が少ないとか、それはお遊戯だとか。
そんなことを理由にできたなら、たぶんこんなことは思わない。

それは、紛れもなくきっかけに過ぎない。
原因になっているのは、もっともっと深いところにある。それをわからないふりをしていた筈なのに、たったあの5分間だけで、ボロボロにその仮面が砕け落ちた。

まだまだ、甘い。
結局どこかで期待をしている自分がいる。

何もしない、だから何も期待しない。
もう一度、戻らないと。
しなくていい期待をすることほど、滑稽なことはないんだから。
そして、裏切りの感情を少し抱いた自分に、戒めを。

2015.07.11
(お祝いの言葉を直接届けることを放棄したのだけは、胸が痛い)

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