たまの良いこと、嬉しさ100倍


基本的に、テスト前だからといって、ガツガツ勉強しなくなってきた。中学や高校の時の勉強時間といったら、今から考えると引くくらい。それくらい勉強しないと不安だったし、事実、それで結果を残せていたからよかったんだと思う。

大学に入って、勉強することの意義が変わったから、テストのために勉強するということが殆どなくなった。一夜漬けになれば良いほうで、朝漬けがデフォルト、酷いときには、15分漬けなんて時もある。

運よくというか、要領よくというか、単位を落としたことはないし、目玉が飛び出るような悪い成績を取ったことがない。そこの、嗅覚にはちょこっとばかし自信がある。


ただ、今季は、さっぱり訳のわからない授業を一つ当ててしまった。それが東洋政治思想史。今年から始まる授業だったから、単位を取りやすいか取りにくいか、教場試験なのかレポートなのか、主席を取るのか取らないのか、などなど未知の状態。もちろん、単位の取りやすさで授業を選ぶような性格ではないから、時間割的にちょうどいいこの科目を取ったのだけれど。

思想やイデオロギーをひたすら眺めているのが苦じゃないからいけると思ったのが大間違い。ついていけたのは儒家思想をやった3回まで。途中で休んだからというのも理由の一つかもしれないけれど、宋とか朝鮮を扱う頃には、聞いてるのも辛いくらい、ちんぷんかんぷんで。そうなると、スマホ片手に好きなことをして過ごすようになるから、正直、後半の授業は何も聞いてないに等しい。洋務運動とか、アロー号事件とか、好きだった分野の話がでてきたら、少し顔をあげるくらい。鉛筆すら出してなかったかも。反省。


授業を受けている間に薄々感づいてはいたのだけれども、この授業が案外鬼畜だった。補講用のレポートがA4で3枚以上って、結構重たい。読んでない人が大半なんだろうけれど、東洋政治思想史の研究書を1冊読まなくちゃいけなかったし、これがまた難しいんだ、まず漢字が読めない。


レポートを出したからといって、テストに優遇されるわけでもなく、今日のテストの内容もなかなかえぐかった…。まず60分で答えられる量じゃないし、知らなきゃ何もできないし。


ただ、分からないなりに、もう少しちゃんと受けておけばよかったって心底後悔した。それはテストの問題にすごくストーリー性を感じたから。先生のメッセージがあれだけひしひしと伝わってくる問題というのには、なかなか出会わないもの。特に、出された課題をこなしていた人じゃないと最後の問題とか書きようがないから、そこはうれしかったな。中国古代史論、ちゃんと読んだもん。宮崎市定の。意味分からなかったけど、頑張って考察しましたもん。


何よりぐっときたのは、最後の先生のまとめ。

「僕は、15回の授業で出してきた内容は、古今東西、どの人間にも提示することができますし、内容にも自信があります」

って。

もう少しだけ、食らいつけばよかった。…うん、たぶん食らいついたところで分からなかったんだけどね(笑)


生徒に厳しくできる教授は貴重です。甘々な人ばかりだから。だって論外じゃん、ドラえもんの歌詞を書いたら単位がくるなんて。もちろん、それも良いと思う。大学生のうちに、やっておきたいことってたくさんありすぎる。授業の勉強のためにプライベートをつぶすような事態はなるべく避けたい。

でも、皆に等しく厳しくて、頑張った人は少しだけ浮上できるようになっている、そんな評価をしてくれるなんて素敵すぎるよね。来年のマイルストーンの評価はイマイチになるんだろうけど、潜りたいくらいには、きっと楽しい授業だったんだと思う。


少なくとも戦後70年を迎えるうえで、考えようという気にはなった。敗戦国として背負い続けなければいけないこと、先進国として果たさなければならない責任、そして、アカデミックが担う役割…。


まだ試験残ってるから、まずはそれに全力投球するけれど。ヒステリックな右でも、冷ややかな左でもない、物事の本質を見極められるような人間になりたいなぁなんて。

「試験できた。わーい」

なんて喜んでる時点で、目先の利益にとらわれっちゃてる、かな。


2015.07.21

(自分の勘に万歳)


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