それは決して卑下ではなく


気づいたら、2クールあったはずのアニメは次が最終回で
作画がー台詞がーと騒いだ割に全部観ていて
来週終わってしまうことに、寂しさを感じております。

ふう。
今OA中のvs京王河原は、DAYSの原作で初めて涙した試合です。
インハイ予選決勝で敗れたときも
笠原先輩が部を去ったときも
来須のおじいちゃんが死んだときも
目白台戦での「ついてこい」でも
まだ流れたことのなかった涙が
ごくごく自然に
流れた試合なのです。


名門と雑草と。
その対立軸が両校のゲームを象徴するはずだったのに
名門にも異端児がいて、雑草にはきれいな花が咲いていて
ピッチ上の選手からすれば、いつの間にか混ざって溶け合った
そんな試合。

特に、聖蹟の10番を背負う君下にとっては
聖蹟ごと全部背負わなくてはいけない試合であり
中学時代の自己への挫折を痛烈に記憶しながら
それでもなお他者から寄せられる「天才」の称号と戦わなくてはならない
物語において、大きなターニングポイントとなる試合だったと思っています
そう、それは
あの、青函戦よりも、遥かに重く。

この中で誰よりも強く「自分はそっち側の人間じゃない」と考えているのは彼で
ある種、自分に諦めを感じながらも、それでも必死で藻掻いている
もがくだけでも気がすり減っていくのに
監督から、先輩から、同輩から、後輩から、観客から、対戦相手から
程度の差こそあれ君下は「そっち側」の人間だと認識されていて
プレースキックの技術「だけは」という表現は
君下の努力に裏打ちされた自信でもあり、また
最大限の、譲歩なんだなと。

矢を失った聖蹟と君下は、失ったからこそ得たものが確実にある
京王戦で得た自信のかけらと、後の試合で集めたかけらとの結晶が
「それでも、聖蹟の司令塔は俺しかいねぇ」
を引き出したのだとしたら、梁山戦は君下を違うステージへと連れて行く試合になるのではないかな

君下はこれからも
自分に確固たる自信を持つことはないのだと思います。
そうするにはあまりにも強すぎる光が、君下の周りを照らしているから
でも、それは決して自分の実力を卑下しているからではなく
なお自分の限界を越えようと
原点を失わないように
ここにいる自分を置き去り進むことができるように

君下が「そっち側」を求めるがゆえの、欲。
シンプルに、ただそれだけのこと。

2016.12.16
(監督のあの言葉は)
(シバだけに向けたものではなかったと思うの)

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