きっと、好きよ

好き、は魔法でも何でもないと思う。

珈琲を飲みながら

本を両手で支えながら

スマホを弄りながら

積み重ねていく日々の、ちょっとした時に

好き、はたくさん溢れていることに気づく。

算数をするよりも簡単に、気づいてるはず。


どれほど集中して

嫌いなことを並べようとしても

その倍、好きを見つけられると思う。

それは意識的か、はたまた深層心理か

人は、自分の周りを好きで固める。

当たり前のはずなのに

どこかで人は、好きで溢れる自分を非難している。

後ろめたく思っている。

格好悪いと思っている。


昔からね

卑下という行為が苦手だった。

自分を卑下して、何が楽しいのか、分からなかった。

そんなに嫌いな自分と、十何年も一緒にいるなんて

かわいそうなヒト

そんな風に思ってた。


他人を好きになることには敏感でも

自分を好きになることには抵抗があるなんて

私からしたら、滑稽なこと。

自分のことも好きになれないのに、どうして人から好きになってもらえるの?

わたしを支える土台は、この言葉。


きっと、好きよ。

私の周りに溢れるとりとめもないほとんどのこと。

好き。

私の周りは好きで溢れている。

それは、昔から変わらない。


好き、は魔法でも何でもない。

私だけでも、あなただけでもない。

みんながちゃんと、抱きしめているもの。


でも、そうね。

わたしには

好きが愛おしい、に変わる。

そんな経験が、感覚が。

絶対的に、足りないのかもしれないね。



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