わたしとあなたの言葉


クォーター最終週に入りました。
セメスター(半期)の更に半分で、8回の講義で終了する授業のことです。
今日で土曜2限の授業が終わって、来週の月曜日でオンデマンドの授業が終わります。
この二つは特に課題がめんど…大変な授業だったので、ひとまずきちんとこなすことが出来てホッとしています。

気づけば修士1年の1/4が過ぎようとしているということで、今の気持ちを残しておきたいなって思いました。
本当は毎日でも打ちたいのに、気づいたら夢の中、なんてことが多かったんです。それだけ必死に、やれたってことかなぁ。うーん、まだかな。泣くほど悔しい思いとか、したことないもんね。

言葉というものは力を持っていて。ときに誰かを励まし、好きの気持ちを吐露し、思わず零れ落ちるような切ない一言もあります。そのどれもが、私だけの言葉であり、誰かの言葉とぶつかって混ざることもあれば、弾けて粉々に砕けてしまうこともある。
言葉の全てが上手に息を出来なくても、それでもわたしは言葉に命を吹き込むことを辞めたくないって思います。

でも、少し。
この3ヶ月弱は、少しだけ、それを諦めてしまいました。
わたしのコースには37人の同期がいて、その8割ほどが中国からの留学生です。彼ら同士は中国語で話すので、わたしには未知の世界が広がっています。
ふと、思い出す。
アメリカに留学した日本人が、結局現地で日本人とばっかりつるんでいたがために、何にも身につけることなく帰ってきた話。
群れる慶応、孤高の早稲田。
なんてよく言ったもので、ここは群れで溢れてる。
しかも何個かグループができていて、それがまた小学校の頃にあったような、女子のグループにそっくりなんです。

話す気がない人に、わざわざ違う言葉で話しかける必要性をわたしは感じなくて、宿題や課題についての質問だけ日本語で話しかけてくる人たちに、冷めた目を送ってしまっていました。

わたし、やっぱり本質的にこういう性格なんだろうな(笑)
ダメダメ、ってそう思うけれど、でもどこかで小さな意地を裏切りたくないって固執してる。

日本にいるんだから、日本語で授業するんだから、大学にいる間はせめて、日本語で話すじゃだめなのかな。
わたしはどうしても母語以外の言葉を話さなくてはいけないっていう環境にいたことがないから、そのストレスを理解できていないだけなのかな。
分からないけれど、それでも。
少なくとも日本を留学先に選んで、たまたまここで会えたのだから、日本に来て良かったって思って欲しいんだ。
これは、わたしの我儘でしかないけれど。

言葉は力を持っていて、いとも簡単に壁を作る。わたし、と他人、をこんなにも明確に隔ててしまう。
その壁を壊すのが無理でも、ところどころに穴をあけたいって、そうは思うのよ。

その小さな穴から生まれる会話が、思いやりに満ちたものであればそれでいい。


2017.06.03

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