こんな卑怯な手が許されるだろうか

追伸


これだから、自分のズボラさが嫌いなんだ。

ちゃんと更新ボタンを押していたはずなのに、愛しのiPhoneちゃんが反応していなかった。

かわいいサイトに、「うきゃー!!」っていいながら、今。

貪るように読んだの。

読んだというか、飲んだというか。

そのくらい、目を細めて。



「行きずりの恋」

とってもヘビーなんだけど、とってもワクワクする授業をとっています。

実証に行きたくてたまらない人間なんだけど

だからこそ、私は規範の方が向いているんだって、ちゃんと分かってる。

そして、それをもう一度確認する、そんな授業なんだけど。


先生は厳しい。

出席はとらない。テストもしない。

中間と期末のレポートだけ。

毎授業後に、書きたい人はレビューシートを書けば。

でも感想は書かないこと。

自分で考えて書くという癖をつけなさい。

たとえそれが、訳のわからないと感じる授業であったとしても。


多分、今までで一番大変な授業。

大変な、4単位。

それでも登録を取り消さなかったのは、ぶっ飛んだ規範を追い求める人の授業についていきたいと感じたから。

考えて、書く。

私の、人生の目標だから。



先生は、応えてくれる。

ハンバーガー、ハンバーガー連呼していた文章も、理にかなっていれば紹介してくれる。

逆に、私でもよく分からなくなってしまった文章は絶対に読み上げない。

「大変面白い意見をいただきました」

先生にそう言わせるために、私が紙とペンを持ってどれだけ唸っているか、先生は知らないし、期末のレポートを出すまで知らなくていい。



「行きずりの恋」

これは、先生が授業中にサラッと言った言葉。

政治思想の授業で、その思想のたとえに「行きずりの恋」なんて使っちゃう。

綺麗だって、そう感じた。

先生の言葉は、心地いい。

それは言葉をしっかり勉強してきた人だからなんだろうな、って心の底からそう思う。

だから、悔しい。

もっと、洗練された言葉を使って、コミュニケーションをとりたいのに。


「この人は、抽象的な文章を書くのがとっても上手なようですね。具体例をひとつも出さずにここまで抽象的に論ずるのはすごいことですが、果たして他の人に伝わっているのかをもう少し考えてみましょう」



この人は、私ね。もちろん。

自分のレビューシートが読まれるのってこそばゆいの。

でも、自分の文章に対する批評はいくらでも聞きたい。

客観的な視点が大事です、なんていうけれど

一体この世の中で、誰が、私を「客観的に」評価してくれる?

この幸運を、私は大切に抱きしめたい。




人とね、関わらなければ傷つかない。

傷つきようがないから。

相手が刃を向けているのか、柄を向けているのかは永遠に見えないから。


けれど、人と関わらないと、私の文章は読んでもらえない。

そうなの。

ここには、圧倒的な矛盾がある。


関わって傷ついて、それを綴って残したのに。

残した言葉を何度読み返しても、それでもやっぱり。

人間は、関わることを諦められない。

そう感じる。


ストレートな発言に、ストレートに返してくれる

そんなあなたを信頼できる。

曲がりくねった思考に、曲がりくねった物言いをしてくれる

そんなあなたと、たくさん話したい。

なんだか、生まれながらに抱えている矛盾を、矛盾のまま受け止めることができるような気がするから。



同じ言葉を、話したい。

同じところに、立ちたい。

この感情は、今も変わってない。

だから、嬉しい。

少しでも、近づくことができたのかもしれない、って。

でも、まだまだ追いかける。

まだまだ、全然足りないから。


スクロールして、視界がだんだんぼやけてきて

あれ?目が疲れたかな?なんて考えて

スボンの色が少し変わって。


久しぶりの涙は、

まぎれもない、あなたへの愛情でした。


2015.11.05

(あの巡り合わせを)

(覚えていますか)





もちろんです。

今までも、これからも。

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