なにこれ素敵
なにがあったというわけではないのだけども、最近すこぶる調子がいい。 毎日楽しすぎて、笑ってる時間の方が多いなって。 現実はエグくて、もう決めなくちゃいけないことが沢山ある。 でもそれを考える時間を逃げずに作れていて、その上で楽しいんだから、これをまさしくリア充って言うのだなと。 自分って粘着質だから、別に諦めたわけではないと思う。 でも、粘着質である以上に、涙が嫌い。 同情せざるを得ないような、申し訳なく思わざるを得ないような。 ゆるりとした拘束を相手に与えるあの雫がどうしても好きになれない。 嬉しくて感動するとか、悲しすぎて切ないとか、そういう類の涙はもしかしたら余計に嫌いかもしれない。 「なに?どうしたの?それを流してどうしたいの?」 って思っちゃう。 じゃあお前はどうなんだって言われそうだけど、実際に泣いたのはもう何年も前。 …実際には(笑) ストーリーの都合上、泣いたことになってることは沢山。 …これって嘘ついてるってことになるのかしら、それは本意ではないのだけれど(笑) 一応泣いとくか、って思って泣いてる人の方が多いんじゃないかな、涙なんて簡単に出てくるし。 というわけで、わたしはあの目から出てくる涙なんていうやつが大嫌いなのだ。 で、多分。 涙を見すぎてしまったんだとおもう。 2015年に入って、隣で泣かれたことも、泣いている姿を遠目に見たことも、映像や人から間接的に見たり聞いたりしたこともあったけれど、ともかく多かった。 嫌いと言われようと、不必要だと言われようと、貼り付けたような笑顔で干渉するなと言われようと、人間関係に執着して、ねばねばと諦めきれない。 けど、すんっ!って冷める。 そっか、ってなる。 もういいや、って。 それで、いい感じに4、5月で整理ができました。 だから、今楽しすぎるんだろうな、考えるべきことを考えることができているから。 余計なことをテリトリーに入れていないから。 自分の世界は狭くしない。 考えないだけ。 愛おしむとか、慈しむとか、気づこうとするとか、そういう行為を消すだけ。 身体はその場にいても、思考は別の場所に置く。そうして許容範囲が広がって、笑えるようになった。 1回、高校の時にこの話をしたときに、 「そこまでの話は解るけど、『だから今が楽しい』に繋がる理由が分からない」 って言われました。 改めて文字に打ってみても、あんまりすっきりしないなぁ。 お得意の感覚人間による、感覚的な理論に違いない。 でも楽しいんだよなぁ(笑) 「あぁ、また日常の繰り返しか」 って思わない。 きっとこれって凄いことだと思う。 こんなよく分からない打ってる電車の中でも、ワクワクして、ドキドキして仕方ない。 1分後の未来に自分がなにを見ていて、1分前の過去にわたしはどう思ったのか。 大げさに言えば、それをずっと追いかけている感じ。 わたしが今年になって経験した「さよなら」は、正直堪えた。 大好きな人がどんどんいなくなる。 なんでだろうって。 神様いるんだったらちゃんと仕事しろよって何度も思った。 でも結局のところ、初めましてとさようならを繰り返すことが日々を過ごすってことだと思う。初めましてにたくさん出会ってる今は、それはそれは楽しいの、多分そういうこと。 人の分までなんて思うことすら傲慢だから、そんなことは思わないけれど、振り返ったときに、かっこいい自分でいたい。 今楽しくて仕方ない自分を、明日きっとかっこいいって思えるから。 そんな経験値を上げたい。 2015.06.11 (だから、少しだけ) (見守ってくれると嬉しい)
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